食読のすすめ

読んだ本の紹介と感想を書いているブログです。

読書は自由だ―『多読術』

松岡正剛著『多読術』(ちくまプリマ―新書)

 

 いつものごとく何かいい本はないかと新書コーナーを徘徊しているとき、この本に出会った。題名は『多読術』。読書が好きな僕にとって、こういった読書/多読術関連の本はつい気になってしまう。著者を見るとあの「千夜千冊」で有名な松岡正剛さんであった。

 もしご存じでない方がいたら、一度「千夜千冊」のサイトを覗いてみてほしい。正剛さんの読書感想文には読んだ本以外の古今東西の本が引用・紹介されており、その幅の広さ、深さには何か底知れない恐怖を覚えてしまうほどである。そんな博覧強記の正剛さんが記した『多読術』は気になるに決まっている。

 手に取って全体をパラパラと眺め、購入を決めた。非常に読みやすいのである。流石はちくまプリマ―新書。信頼できる情報をかみ砕いて、それこそ中高生でも読めるように編集しているのが特徴的だ。そしてまた、どのページを読んでも既存の読書本にはない新たな発見があったのだ。

 

たくさんの本を読む方法

 本書は筑摩書房の担当編集者さんが「聞き出し役」として、正剛さんに様々な質問を投げかけることで、徐々に正剛さんの読書観が露わになっていく。

 中でも、編集者さんが「たくさんの本を読むのは大変だが、どうやっているのか?」と聞いたときの正剛さんの回答が印象的だ。

「読書は大変な行為だ」とか「崇高な営みだ」などと思いすぎないことです。それよりも、まずは日々の生活でやっていることのように、カジュアルなものだと捉えたほうがいい。

 読書は服を着たり、食事をしたりすることと同じぐらいカジュアルに捉えるべきだから、たくさんの本を読むのは別に大変ではないのだろう。私は、この読書を食事に例えることが気に入っており、実は当ブログの名前である「食読のすすめ」はここから来ている。

気分次第で「おいしさ」は変わる。量も変わる。だから読書も、いわば「食読」のようなものなんです。

 そして、この「読書はカジュアルに捉えるべき」という考え方は、正剛さんの読書法に対する表現の多さからも垣間見える。一般的に、読書法といわれたら「速読」や「多読」などが挙げられるが、正剛さんはそれに加えて「感読」「耽読」「惜読」「愛読」「敢読」「氾読」「食読」など、あらゆる状況/方法での読書に名前をつけており、それらすべてを取り入れている。

 つまりは、読書は自由なのだ。速読しても遅読してもいいし、多読しても精読してもいい。机で読んでも電車で読んでもいい。大事にしてもいいし、書き込んで汚してもいい。決まりきった方法などなく、自分の思ったように書物を味わい、ものにし、ときには無駄にする。このプロセスこそが読書の醍醐味であり、ひいては正剛さんが大量の本を読むことが出来る理由なのだろう。

 

読書離れを防ぐには

 どうだろう。「読書は自由だ、どんな読み方をしても構わない」と言われたら、俄然、読書に対するハードルは下がるのではないだろうか?

 近年、専門家や有識者は、読書の重要性を訴えることで、若者の活字離れを防ごうと試みるケースが多いように思うが、恐らくそれでは不十分だろう。重要性を訴えると、読書は何か大層なことのように思えてしまい、かえってハードルが高くなってしまう。そうではなく、本書で紹介されたように「読書はもっとカジュアルなものである」ということを大人が体現してあげることが、一つの解決策になるかもしれない。